釜ケ崎と福音は、カトリックの本田哲郎神父による、自らの体験に基づいて記された実践的福音報告書とでも言うべき書である。上智大学を卒業後、神学校からカトリックの神父になった本田神父は、ある時釜ケ崎を訪ねる。釜ケ崎は、俗にあいりん地区とも呼ばれる、日雇労働者が多く集まる関西のドヤ街である。関東では山谷が同種の地区として相当するであろう。

カトリック組織の通例として同地区を訪れた本田神父は、当初は職務上の行為として同地区のホームレスの人達へ毛布や食事を配る仕事を行っていた。路上で寝ている人達へ最初は恐る恐る毛布を配っていた神父は、ある時あることに気付き始める。怖がりながらも気の毒な人達を助けようとしていた本田神父を救ったのは、実はその気の毒な人達なのではないか。同書の中で本田神父は語る。

「すみません、毛布いりませんか……」。一回、二回と声をかけても起きてくれない。こわくて遠くの方から、小さい声でいってるわけですから聞こえなかったはずです。いつまでもここにいるのはいやだ、早くケリをつけたいばかりに耳のそばまで口をもっていって、「毛布いりませんか」といったのです。いきなり耳元で声がしたので、その人がビクっとして、顔をねじ向けます。彼の瞬間的なその動きに、「アッ、殴られる」と、とっさに思いました。ほんとに申し訳なかった。思わず身をひいていました。だけど何も起こらない。おそるおそるその人のほうを見ると、なんと笑っていたのです。やさしい笑顔でした。そして、「兄ちゃん、すまんな、おおきに」といってくれた。わたしはその顔を見て、その声を聞いて、それまでの緊張がすっかり溶けて、ふわぁという解放された気持ちでした」(同書26-27p)

本田神父は続けて語る。

「私はそれまで、当然、信仰を持っているわたしが神様の力を分けてあげるものだと思いこんでいた。教会でもそんなふうなことしか教えていなかった。だけど、ほんとうは、違うんじゃないだろうか。じっさい、わたしには分けてあげる力なんか、なかった。ほんとうは、あの人を通して神様がわたしを解放してくれたのではないのか。そんな思いがわきあがってきたのです」(同書28p)

「社会的に弱くされた人達にこそ人を解放するパワーがあるのではないか?」

本田神父の推論は、やがて実検証を経て確信へと変わってゆく。そして、「聖書の読み違い」も疑った神父は再び聖書をひもとき、丹念に再検証を重ねてゆく。そして神父は、最終的にある結論に到達する。それは、

「力は弱さの中にあってはたらく」

ということ、そして、

「神はいちばん貧しくいちばん小さくされている者を通して、すべての人を救う力を発揮される」

という決定的な結論であった。

 (続く)

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Column "Hitorigoto"

力は弱さの中にあってはたらく Part2