前に漏れは思うところがあって所属する教会を福音派の教会からリベラルの教会に変えたと述べた。一年過ぎた今考えると、ラーメンに例えると福音派の教会は濃厚な豚骨ラーメン、リベラルの教会はあっさり系の中華そばのように思える。どちらがより良いということではなく、どちらにも個性なりカルチャーがあるということである。

福音派の教会を離れて自分自身変わったなと思うところは、十戒に拘束されなくなったというところである。福音派時代の漏れは、神社参拝はおろか、仏式葬儀に出席しても焼香を遠慮していた。大抵の福音派の教会では、十戒を根拠に、神社仏閣参拝はおろか、葬儀での焼香、日の丸拝礼や君が代斉唱もしないように指導される。ところが、今の漏れは堂々と君が代も歌うし日の丸に敬意を表する。今思うと、何であれほど十戒に拘束されていたのか不思議である。

多分、ある種のマインドコントロール下にあったのかも知れないとも思う。宗教とは、教義が過激になればなるほど排他的で絶対主義的になるものだが、福音派の教会の多くが、牧師を筆頭とする独自のコミュニティになりがちになるのは不思議ではない。前に漏れは、キリスト教の知識がない普通の日本人には福音派の教会はお勧めしないと書いたが、それはそのような事情も理由として含まれる。

福音派のクリスチャンの多くは、クリスチャンにならないと「救われず」、地獄に落ちて永遠の業火で焼かれると信じている。よって、彼らは一人でも多くの人を「救いに導く」ことが使命であると考え、少なくない数の人が実際に実行している。これは、冷静に考えると漏れの大嫌いなエホバの証人の活動や規範と瓜二つなのだが、当時の漏れにはそれを認識することが出来なかった。

リベラルの教会に移った今の漏れは、クリスチャンでなければ「救われない」とはまったく考えなくなった。それどころか、クリスチャンであるなしにかかわらず、人は公正平等に神様から評価され、祝福されるべき人は祝福されるはずだと考えるようになった。

福音派の教義、特に什一献金といった教義に疑問を持ち始めた頃、漏れは2ちゃんねるの宗教板である本の存在を知った。カトリックの本田哲郎神父の釜ケ崎と福音 という本だが、アマゾンで入手してひもといた漏れは、正直に言って非常な衝撃を受けた。それは、今までの漏れのキリスト教の考え方をひっくりかえすのみならず、思ってもみなかった新しい価値観を教えてくれる結果になったのだ。

 (続く)

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Column "Hitorigoto"

力は弱さの中にあってはたらく Part1