キリスト教には什一献金(じゅういちけんきん)といって、収入の十分の一を神にお返しする一般慣習がある。ここではとりあえず「一般慣習」としておくが、キリスト教の教派によっては什一献金は慣習ではなくクリスチャンの「義務」であるとするところも多い。教会によっては、クリスチャンはすべからく収入の十分の一を神にお返ししなさいと厳しく指導しているところもある。

什一献金の神学的根拠については、実は漏れは確たる知識を有さない。教会の牧師は聖書的根拠を示して什一献金をすることをクリスチャンの責務としている。確かに、聖書とりわけ旧約聖書には収入の十分の一を神にお返しするよう促す個所がいくつも出てくる。有名なマラキ書の記述をはじめ、古くは創世記にもヤコブが十分の一を神にささげると誓願する記述がある。そう言われると確かにヤコブもダビデもマラキも什一献金をしていたのだから、我々現代のクリスチャンも、同様に什一献金をしなければならないと思ったりもする。

しかし、什一献金を行うにせよ、クリスチャンの仲間うちで話題になるのは、什一献金の母数をどこに求めるかということと、控除はどこまで認められるのかということである。例えば、普通のサラリーマンであれば給与はグロスの給与所得から所得税、住民税、健康保険料、厚生年金保険料、雇用保険料等々が控除して振り込まれる。月給をもらっている人の場合、通常は以上の控除がされた金額、いわゆるネットの手取り金額が銀行口座に振り込まれる。

そこで、什一献金を忠実に行うとした場合、どの金額を母数として行うべきなのか。上のケースの場合、グロスの金額は100万円だが、社会保険料等を控除した場合、ネットの手取り金額は、被扶養者等の数にもよるが、多分60-70万円程度になるであろう。グロス金額で什一献金を行えば献金額は10万円になり、ネット金額では6-7万円になる。

また、いわゆる「その他の控除」についてはどうであろうか。例えば、教会に通うクリスチャンでも地元に住んでいる人もあれば遠方から通ってくる人もいる。遠方から通う人の交通費(電車代やガソリン代)はグロス金額から控除していいものか。あるいは専業主婦の実質的労働対価相当額も、主たる事業者たる夫の所得に加算して母数に加えるべきなのか(つまり、共稼ぎ夫婦が相応の不利を生じないために)。この種の議論を始めてしまうとほとんど収集がつかなくなってしまうが、ひとくちに「什一献金」と言ってみても、そこには実に様々な検討課題が含まれているのである。

(続く)

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Column "Hitorigoto"

Vol.35 神への確定申告 Part.1