では、原本を辿る前に、現代の聖書において神は何と呼ばれているかを確認しておきたい。なお、「聖書」といっても、日本語に翻訳された聖書には種類がいくつかある。メジャーなものとしては日本聖書協会による『新共同訳聖書』同『口語訳聖書』、日本聖書刊行会による『新改訳聖書』がある。その他にも『詳訳聖書』『回復訳聖書』『リビングバイブル』や、旧約の『関根正雄訳』、新約の『塚本虎二訳』同『フランチェスコ会訳』、果ては大阪弁訳やケセン語訳といったものまである。なお、いわゆるエホバの証人(ものみの塔)の人達も独自に『新世界訳聖書』というものを刊行しているが、これはあまりにも問題があり過ぎる「聖書」なので、とりあえず聖書の範疇からは外しておく。

さて、漏れの手元にある新改訳聖書を開いてみると、冒頭に「初めに、神が天と地を創造した」とある。よって、聖書に最初に登場する神様の名前は「神」であることがわかる。少しページをめくると、今度は「神である主は」と出てくる。よって、神様の名前は「主」でもあることがわかる。もう少し進んで創世記32章29節に行くと、アブラハムの孫のヤコブが神様に「どうかあなたの名を教えてください」とたずねるシーンが出てくる。それに対して神様は「なぜ、あなたは私の名をたずねるのか?」と教えてくれない(なお、ここで登場する方が神様であるかについては諸論あることを一応お伝えしておく)。さらに進んで次の出エジプト記に行くと、3章13節でモーセが神様に神様の名前をたずねるシーンが出てくる。それに対し、神様は、「わたしは、『わたしはある』という者である」とお答えになっている。なお、この「わたしは、『わたしはある』という者である」という日本語だが、これはひどくわかりにくい日本語で、多分英語で読んだ方がわかりやすいかも知れない。ちなみにアメリカのメジャーな聖書であるNIV(New International Version)では、その箇所を

God said to Moses,“I AM WHO I AM".

と訳している。つまり、「私は私だ」という意味である。これは、語感としては「私に私の名前なんか聞くな、私は、つまり私だ」という感じだと思われる。要するに、「人間同士がお互いの名前を確かめ合うように、気軽にわたしの名前をたずねるな。私とお前達人間とは、基本的な立場が違うんだぞ。仮に私の本当の名前を教えたとしても、お前達にそれが理解できるか、あるいはそれをきちんと発音できるかどうかすらわからんだろう」といったニュアンスでもあるように思われる。

(続く)

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Column "Hitorigoto"

Vol.32 神様の本名 Part.2