先日、小学四年生の漏れの息子から、「神様の本当の名前はなんていうの?」という質問を受けた。漏れはしばらく考えて、「世界中で色々な人達から色々な名前で呼ばれているけれど、本当の名前は誰にもわからないんだ」と正直に答えた。息子はわかったようなわからないような顔をしていたが、やがて、息子のその質問に答えるには、一筋縄ではいかないと思いなおした。

漏れはクリスチャンだから神は唯一だと信じている。つまり、唯一の神が存在するのみで、それ以外は神ではない。だから、普通の日本人が何気なく言う「山の神様」「水の神様」「野球の神様」「商売の神様」「経営の神様」「トイレの神様」といった神様はいないと考えている。だから、漏れが言う神様は、ただ一人だけ存在しているという神様である。

なお、漏れが信じる神様は聖書の神様でもある。聖書とりわけ旧約聖書が指し示すところの神様で、神学上は「アブラハムの神」とされる神様である。これは、旧約聖書創世記に登場するアブラハムが崇めた神様であり、現代のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神様である。

また、漏れはクリスチャンだからアブラハムの神様に加え、イエス・キリストも神様だと信じている。また、聖霊という神様も信じている(なお、この教義は三位一体と呼ばれる)。だから、神様はイエスという名前と聖霊という名前をお持ちであると信じている。しかし、例えばエホバの証人やモルモン教の人々は三位一体を信じていないから彼らにとってはイエスや聖霊は神様の名前ではない。なお、ここで三位一体について詳しく触れると長くなるのでとりあえず置いておく。

キリスト教の三位一体の教義では、神様は父なる神(アブラハムの神)、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神という三つの位格をお持ちであるとされる。そして、名前についての議論が往々にしてなされるのが、父なる神、つまりアブラハムの神様である。そこで、アブラハムの神様の名前はもともと聖書に記されているのだから、聖書を調べればわかるであろうと思われがちだが、実は事はそれほど単純ではない。聖書と言っても現在我々が使っている聖書ではなく、言うなれば聖書の「原本」まで辿らねば、神様のお名前はわからない。ところが、聖書には厳密な意味においての「原本」が存在しない。なぜなら、聖書とは1500年に及ぶ歴史において伝承され続けてきた、66の書籍の一大編纂集のようなものであり、それらのそれぞれの「原本」が、必ずしも一冊の書籍として現存しているわけではないからである。

(続く)

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Column "Hitorigoto"

Vol.31 神様の本名 Part.1